ブラームスの歌曲作品

リート作品(1)

「ドイツ・リート」の発展については、シューベルト、シューマン、ヴォルフがよく話題に上がります。この3人の作曲家たちはドイツ・リートに新しい表現の可能性を切り開いたと言われます。例えば有名な「魔王」をゲーテが望まなかった通作形式で作曲したシューベルト、様々な詩人たちの詩を束ねて曲集にしたシューマンなどにその例を見ることができるでしょう(ヴォルフについてはいずれ書きたいと思っています)。しかしブラームスは作曲家主導の作曲法には疑問を抱いていたらしく、古典的な有節形式、三部形式などの曲を多く残しています。 ブラームスの歌曲の全貌について今までよく知らなかったため、少しずつ楽譜と詩を見比べ、演奏を聴いた印象を書き留めていくこととします。

※ 「作品番号」に色のついたものは伴奏を担当したことのある作品です。
※ 「曲名」に色のついたものは個人的に愛好する作品です。


作品番号 作曲年 曲名(詩) 特徴・感想
3-1 1853 愛のまこと
Liebestreu (Reineck)
母と子の対話による詩。ピアノの低音と歌も対話になっている。そしてテンポを動かしながらドラマティックに音楽は進められるところなど、ピアノ曲「バラード Op.10」の第1曲を思わせるものがある。
3-2 1853
1882改訂
愛と春 Ⅰ
Liebe und Frühling (Fallersleben)
ユニゾンで開始されるテーマがカノン、拡大形などに形を変化させていく。改訂版は第2連の歌がピアノの右手に合わせるように変えられており、伴奏の低音でテーマが奏される。
3-3 1852 愛と春 Ⅱ
Liebe und Frühling(Fallersleben)
「あなたのところに行かねばならぬ、そして自分で言わねばならぬ。この明るい昼の中で  あなただけが私の光だと」 ・・このような心が伴奏のトリル、トレモロで表現されているように感じられる。
3-4 1853 「イヴァン」の詩による歌
Lied aus dem Gedicht "Ivan" von Bodenstedt
変ホ短調という調が原調であることに注目したい。「広い野の上の高い空で 大きな禿鷹が獲物を狙っている」と始まる歌は各連の最後でsostenuto がかけられる特徴をもつ。最後に「天よ、哀れな、苦しみの乙女を助けたまえ 私の心臓は苦痛に破れてしまう」と締めくくられ、「Es bricht mir das Herz vor Weh und Leid!」のところで4/4拍子から3/2に変化し、p rit で終わるのが詩の気分をよく表していると思う。
3-5 1852 異郷にて
In der Fremde (Eichendorff)
シューマンも同じ詩に歌曲を書いており、しばしば比較される一曲。3度、6度の伴奏進行はいかにもブラームスらしい音の響きだ。
3-6 1852 歌曲
Lied (Eichendorff)
「梢にざわめく優しい風よ」という詩の情景をピアノの16分音符の動きが表していると思われる。「Sagt, wo meine Heimat liegt(私の故郷はどこなのだ)」「Daß ich an zu weinen fing(私は泣き出してしまった)」部分の転調がすばらしい。
6-1 1852 スペインの歌
Spanisches Lied (Übersetzung: Paul Heyse)
「いとしの人は眠ってしまいました。起こしましょうか? いいえ」 詩は作者不詳のスペインのものらしい。保続音によるオスティナート風の伴奏の上で歌われる恋の歌という印象だ。
6-2 1852
Der Frühling (J.B.Rousseau)
春への賛歌という内容の歌詞で、下行する前奏の後、上行する歌の旋律が詩の気分を見事に表していると思う。
6-3 1852 別れの後に
Nachwirkung (Alfred Meissner)
「彼女は去り、歓喜は消えたが、頬は火と燃え,涙は絶え間なく流れる」という歌詞で始まる歌。穏やかな有節歌曲だが心の揺れが和声の微妙な揺れとともに表現されているようだ。
6-4 1852 ユッヘ
Juchhe (Robert. Reinick)
自然を讃え、喜びを歌う。Juchhe は喝采、歓喜の叫び声(小学館『独和大辞典』)で、ヤッホー、いいぞ、ばんざい、ブラボーなどの意味とのこと。軽やかなスタッカートの伴奏が曲の性格jを形作る。
6-5 1853 雲が太陽に向かって
Wie die Wolke nach der Sonne  (Hoffman v.Fallersleben).
「雲が太陽に向かって・・・」「ひまわりの花が太陽に顔を向け・・・」「雲の道を飛ぶ鷲のように憧れの天空へと昇り・・・」を受け、第4連では「そのように私も君の顔を見るため、あこがれ、苦しみ、もがかねばならぬ/君のまなざしにいだかれ、その光に身を焦がすのだ」と恋心が歌われる。有節歌曲であるが第3連で短調に転じること、終結部がとても美しいことがこの曲に魅力を与えていると思う。たとえばシューマンならもっと違う音楽になったことだろう、などと考えるのも楽しい。
6-6 1853 夜鶯はつばさを
Nachtigallen Schwingen (Hoffman v.Fallersleben)
楽し気に飛び、歌うナイチンゲールと対称的に「花についてのことは私は黙せねばならない。花の間に私はただ悲しみで立つばかり。咲こうとしない花一輪を私は認めるのだ」と言う私。その対称が特徴的な歌である。伴奏がスタッカートの連続であることも情景を感じさせる。
7-1 1854 変わりなき愛
Treue Liebe (Eduard Ferrand)
心の不安を表すような伴奏の分散和音が美しい1曲。第3連でのドラマティックな展開が見事である。
7-2 1852 誓い
Parole (J.v.Eichendorf)
恋人である狩人を失った悲しみが歌われる曲。原腸はホ短調で、序奏はハ長調で始まるがGer+6 の和音からホ短調に転じる。最終節では詞に合わせた音楽の高揚が見られる。曲名の訳は「合い言葉」とする人もいる。
7-3 1853 余韻
Anklänge (J.v.Eichendorf)
素朴な書法の中に「森の中の一軒家」で糸をつむぐ娘の姿が見事に暗示される。タイトルの訳を「調和」とする人もいるが、『木村相良独和事典』を引くと Anklange は 「①類似した響き;想起[させるもの]、なごり ②喝采、同感 ③初音、序音 ④和音」とあり、ドイツ語のニュアンスを日本語にするのは難しいと思う。
7-4 1852 民謡
Volkslied
「よその土地へはるばると つばめが飛んでいく。私は憂いに打ち沈み 苦しい時を過ごしている」という気持ちがブラームスらしい3度和音を含んだ分散和音に乗って歌われる。
7-5 1861 悲しみの乙女
Die Trauernde (Volkslied)
「私のお母さんは私がきらい、私には恋人もいないし・・・」と歌われる悲しげな歌で、伴奏の和声はルネサンス期などの合唱曲を思わせる素朴なものである。
7-6 1851 帰郷
Heimkehr (L.Uhland)
恋人のところへ帰ろうという気持ちを綴った短い詩に、若い頃のブラームスらしい非常に劇的な音楽が付けられた一曲。Allegro agitato であるが伴奏部で sostenuto や poco rit などのテンポの動きの指示がある。
14-1 1861 窓の前で
Vor dem Fenster (Volkslied)
「月があまり明るく照らさないなら、そして太陽があまり早く昇らないなら/今夜は愛を訴えに行くのだ」と始まる民謡歌曲。素朴な伴奏のようだが長調短調が交替することで「いとしいお前から離れなければならない」という気持ちが感じられる。
14-2 1858 傷ついた少年のこと
Vom verwundeten Knaben (Volkslied)
ひとりの娘が早くに起きて緑の森の中へと行くと、ひとりの傷ついた若者を見つけた、という物語が民謡らしく淡々と歌われるが、第4連からは自由な展開を見せる。
14-3 1858  マレーの殺害
Murrays Ermordung (Schottisch; aus Herders Stimmen der Vorker)
スコットランド民謡をヘルダーが『諸民族の声』でドイツ語訳した詞に基づく作品。「北の大地と、南の平地よ、そこで何が起こったのだ。気高きマレーが殺された」と始まる。 シューマンを思わせる付点リズムの力強い音楽である。
14-4 1858 ソネット
Ein Sonet (Aus dem 13. Jahrhundert)
フランス13世紀の詩をヘルダーがドイツ語に訳した詩に基づく。穏やかな恋の歌である。 
14-5 1858 別れ
Trennung (Volkslied)
眠っていた若者は恋人のくちづけで起こされる。しかし若者は馬に乗って走り去ってしまった、という内容の歌詞。ツッカルマーリョ Zuccalmaglio 編のドイツ民謡をもとにしているとのこと。技巧的で軽やかな伴奏(メンデルスゾーンの無言歌 Op.38-5や Op.53-6 に似ている)に乗って別れの気持ちが歌われるのだが、前半の恋するふたりの朝の目覚めと、後半の辛い別れは唐突な感もある。という訳で前半と後半は別の詩から採られたのではないかと言う人もいる。
14-6 1858 恋人のもとへ
Gang zur Liebsten (Volkslied)
「恋人をたずねて」「恋人のところへ行く道」との訳もあるようだ。この詩の第2連が「少年の不思議な角笛」の中の「美しいトランペットの鳴るところ」と関連していることはしばしば指摘されているが、後にマーラーが描いた情景とは異なり、純粋な愛の歌となっている。長調と短調を揺れ動く音楽が若者の恋心をよく表していると思う。
14-7 1858 セレナード
Ständchen (Volkslied)
「おやすみ、おやすみ、私の愛する人よ」 と始まり、「お月様は君がまどろみの中にいるのを見ているがぼくはひとり行かなくてはならない!」と締めくくる詩で、通常の「セレナード」とはやや雰囲気が違うと思う。ギターを模倣したかわいらしい伴奏の1曲。
14-8 1858 あこがれ
Sehnsucht (Volkslied)
恋人を思う心を歌った美しい歌曲。ドリア旋法が用いられ、古風な趣をもっている。 
19-1 1858 くちづけ
Der Kuß (Hölty)
初めてのキスを歌う1曲。第2連で気持ちが高揚する表現が印象的である。 
19-2 1858 別れ
Scheiden und Meiden (Uhland)
ドイツ語の直訳だと「別れることと遠ざけること」で、「別離」「別れのつらさ」という訳もある。詩の最後「ああ 恋人よ これが別れを意味するのか/互いに固く抱きあうことが?」という言葉が印象的である。ドリア旋法的な進行も印象的だ。
19-3 1858 遠い国で
In der Ferne (Uhland)
遠い土地でひとり恋人を思い、小鳥や花に語りかける歌。Op.19-2と伴奏形が似ているが、後半で3連符の形に変化するところが絶妙だと思う。
19-4 1878 鍛冶屋
Der Schmied (Uhland)
恋人である鍛冶屋が打ち下ろす槌の音、それは鐘の音のように街や広場を通って響く。伴奏のリズムが歌詞の特徴をいかしており、力強い歌となっている。
19-5 1858 エオルスの竪琴に寄せて
An eine Aeolsharfe (Mörike)
「エオリアン・ハープ」の名称の方がなじみがあるという人も多いと思う。メーリケの詩に基づく歌曲で、いろいろ調べていくとこの詩はメーリケが弟の死を悼んで書いたものらしい。その気持ちをエオルスのハープに託して書かれた美しい詩である。音楽も実に素晴らしい。和声の移り変わりに憂いが見事に表現されていると感じた。とくに「Deine melodische Klage」の部分。
32-1 1864 なんと私は夜中に飛び起きた
Wie rafft ich mich  auf in der Nacht (Platen)
手元にある「世界名歌曲全集 9 ブラームス歌曲集Ⅰ(音楽之友社)」では曲名を「さよ更けて我れ立ち上がれり」としていて、なかなか格調高い。夜中に飛び起きた私は、何かにひかれていかねばならぬと感じ、夜の中をさまよう。水車用の小川、無数に輝く星。そして最後で「ああ、お前は本当になんという日々を送ってきたのだ、さあ、もう悔やむのをやめるがいい、この夜中に、脈打つ心の中にひそむ悔悟の念よ」と歌われる。誌の内容も深いが、音楽が実に見事だ。とくに第2連から第3連への音の使い方、そして後奏の表現力に感銘を受けた。
32-2 1864 もはや君のもとには行くまい
Nicht mehr zu dir zu gehen (Volkslied aus der Moldau)
モルダウの民謡をダウマーが翻訳した歌詞による曲。重々しい3/2拍子の歩みで、あなたのもとへはもう行くまいと誓ったのに、毎晩出かけてゆく気持ちが歌われる。途中で「Und möchte doch auch leben/ Für dich, mit dir, und nimmer, nimmer sterben.」と歌われる部分が印象的だ。
32-3 1864 私はさまよい歩く
Ich Schleich' umher (Augst Graf von Platen)
最後に Und könnt ich je/Zu düster sein これ以上陰鬱な気持ちでいられるだろうか)と繰り返される。短いが内容の深さを感じさせる一曲。
32-4 1864 私のそばでざわめいていた流れは
Der Strom, derneben mir verrauschte (Augst Graf von Platen)
「私のそばでざわめいていた小川は今どこにあるのか」と始まり、「そして、ずっと昔に別の自分と入れ替わったかつての私は、今どこにいるのだろうか?」と歌われる恋の痛手の歌。繰り返される「wo ist er nun?」という疑問形の表現が印象的である。
32-5 1864 ああ、君は僕をまたもや
Wehe, so willst du mich wieder (Augst Graf  von Platen)
「ああ、お前はまた私を縛り付けようというのか」と始まる歌曲。具体的な対象が書かれていないようだが、最近流行しているAIによる概要では「一度振り切ったはずの過去の愛や束縛に、再び引き戻されてしまう苦悩と、そこから逃れようとする激しい叫びが表現されています」とのこと。伴奏では和音の連続が激しい心を描写する。不協和音が多く用いられ、ドラマティックな作品である。
32-6 1864 ぼくが思い違いをしたと君は言う
Du sprichst, daß ich mich täuschte (Augst Graf von Platen)
過去の恋のことを歌った歌詞である。「Allein cu liebst nicht mehr でも、もう君は僕を愛してないんだ!」と繰り返される部分で高揚した気持が表現されるが、基本的には内省的な音楽に聞こえる。最後がクレシェンドで終止するのも印象的だ。
32-7 1864 君は辛いことを語ろうとしている
Bitteres zu sagen denkst du (Daumer, nach Hafis)
「きびしいことを言おうと君は思っている」と始まるが「だけど君には誰も傷つけられない」「きつい言い方は/珊瑚礁の上で難破して/みな純粋ななぐさめに変わるのだ」と歌われる。優しさに支配された音楽で、伴奏の低音が休符から始まるのも特徴である。
32-8 1864 こうして僕たちは一緒にいるけれど
So stehn wir, uch und meine Weide (Daumer, nach Hafis) 
最初の言葉を受けて「私は彼女を喜ばすことをしてやれないし、彼女は私を苦しめることができない」という、すれ違いの気持ちのようだ。この曲も優しさに満ちた音楽になっている。
32-9 1864 私の女王よ
Wie bist du, meine königin (Daumer, nach Hafis)
「wonnevoll([雅]歓喜に満ちた/喜びあふれる)」という言葉が各連の最後で用いられる、恋の喜びをうたった歌詞と言えるだろう。
33 1861-69 マゲローネのロマンス
Romanzen aus L.Tiecks Mageline
全15曲から成る連作歌曲集。ドイツの初期ロマン派作家ルートヴィヒ・ティークが1797年に発表した『民俗童話集』に収められた物語中に書かれた詩(全18章あり、章のそれぞれはだいたい詩で締めくくられているとのこと)に基づいているが、歌曲を鑑賞するにはその物語を知っておく必要はあると思う。聴いていてヴァーグナーを思わせるような場面もあり、かなり劇的な音楽である。


参考文献:

喜多尾道冬 「ブラームスのリートの位置」 (音楽之友社編集・制作/ポリグラム発行 『ブラームス大全集』)、1996
西原稔 『作曲家◎人と作品 ブラームス』音楽之友社、2006
門馬直美 『ブラームス 大音楽家 人と作品10』 音楽之友社、昭和40年
三宅幸夫 『ブラームス ——カラー版作曲家の生涯——』新潮文庫、昭和61年
Geiringer, Karl; Brahms: His Life and Work (in collaboration with Irene Geiringer), Da Capo Press, 1981;
Neunzig, Hans, A: Johannes Brahms, Rowohlt Taschenbuch Werlag GmbH, Reinbek bei Hamburg, 1973 (邦訳『〈大作曲家〉ブラームス』山地良造訳、音楽之友社、1994

参考にしたドイツ語辞書:

相良守峯編『木村・相良独和辞典新訂』博友社、昭和38年
R.シンチンゲル編『新現代独和辞典』三修社、1993
国松孝二(編者代表)『小学館 独和大事典[第2版]コンパクト版』1985、小学館


Back