読書のページ
このページでは最近読んでいる本について記していきます。気が向いた時に更新。以前の記事は消去していきます。
『揺らぐ日本のクラシック 歴史から問う音楽ビジネスの未来』 渋谷ゆう子著、 NHK出版新書、2025
地方に在住していると、そして年齢的に若い頃のような好奇心も乏しくなっていることもあり、最近は音楽会に出かけなくなっている。世の中全体にそんな状況があるのだとしたらその原因は何だろうか、という問に対する答えがあるのなら知りたいと思って購入した。内容は「歴史から問う」とあるように音楽界の歴史について書かれた部分が多い。欧米についての記述は参考になった。ただ、最後のところで「いくつかの戦略」があると書かれているが、「まずひとつは、興業とアウトリーチを密接に絡めること」とあり、それについては理解できたが、二つ目(あるいはそれ以降?)がよく分からなかったのは残念である。「地方でのクラシック音楽の土壌について」というところがそれにあたるのかもしれないが、「いくつかの戦略」とあるので「二つ目は」「その次に」などの言葉を期待して読んでしまう。これは長年、論文指導なども行ってきた私の悪い癖なのかもしれないと思っているところである。現代は、音楽を聴こうと思ったらYoutubeなどで簡単に視聴できてしまうということが最も根本的な問題だと思っているので、多くの演奏家や音楽大学などは存在価値を失いつつあるのかもしれない。そうすると、職業音楽家を目指すことへの警告などといった内容の著書があれば今後読んでみたいものだ、と勝手なことを考えてしまった。(2025.4.1)
『バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家』 伊東信宏著、中公新書、1997
バルトークのピアノ作品は 「ルーマニア民俗舞曲集」「子どものために」「ミクロコスモス」「ソナチネ」「15のハンガリーの農民の歌」くらいしか知らなかったことを最近反省しつつ、彼について書かれたものを一つ一つ読んでいるところである。まずは洋書で Klaus Wolters “Handbuch der Klavier-literature から読んだ。ハンガリーのピアノ曲について書かれた箇所である。さらに、買ってはいたが全然読んでいなかった『西洋の音楽と社会(総監修・スタンリー・セーディ、全12巻、音楽之友社)』の第8巻を読んでいる。それと並行して標記の著書も読んでいるところだ。こういう読み方が私の流儀で、複数の本を比べながら読むのである。本日は第1章まで読んだのだが、これはかなり面白い内容である。最初にシェーンベルクの言葉が引用されておリ、ハプスブルグ帝国から見た「文化的に独立の機が熟していない小国」という表現が、19世紀末の時代を感じさせる。そして、民族性とは何かという重要な問題について。これは「デオダ・ド・セヴラック 南仏の風、郷愁の音画(椎名亮輔著、アルテスパプリッシング)」でも指摘されていたことで、以前からこの点について興味があった。19世紀の「ハンガリー音楽」はやはりチャールダーシュのイメージが強かったことも書かれており、一時的に愛国主義であったバルトークが科学的関心による民族音楽研究へと変化したことが書かれている。以降も楽しみに読んでいきたい。(2025.3.1)
第3章「民謡コレクション『ハンガリー民謡』を読む」の中で2か所、興味深い記述があった。ひとつは「以前ハンガリーの右翼的勢力から非愛国的であると非難されたその同じ論文が、今度はルーマニア人から親ハンガリー的であると非難されることとなった」というところで、これは1920年のヴェルサイユでのトリアノン講和条約」によりハンガリーの領土が3分の2となったことと関係している。もう一つはバルトークが行った民俗音楽研究「ハンガリー民謡」が完全な分類学であり、19世紀の博物学の伝統に根ざしているというところだ。博物学と言えば阿部謹也ほか著『いま「ヨーロッパ」が崩壊する』を思い出す。山口昌夫「ヨーロッパを支えた『隠れた知』とは」の中で、日本の博物学が廃れた経緯について書かれているのだが、博物学がヨーロッパで成立したのはルネサンス前後のことであり、「集めることによって成立してくる知の形態」という言葉があった。これはなかなか面白い考え方であり、ヨーロッパの「隠れた知」を日本の近代では学ぶことを怠ったという指摘には考えさせられるものがあると思う。(2025.3.4)
『誰か「戦前」を知らないか 夏彦迷惑問答』 山本夏彦著、文春新書、平成11年
ずいぶん昔に購入した本なのだが、山本氏の豊富な知識を知るのが楽しいので、最近読み返しているところだ。印象に残っているのは「あなた方に『戦前』を話して理解が得られないのは、ひとえに言葉が滅びたからです。それは核家族が完了したからです」というところで、確かに現代も人と人との会話がどうも薄いものになっているように最近感じる。個人的なことを言わせてもらうと SNS で文章がどんどん短くなっているだとか、マルをつける文章が嫌われるだとか、日本の文化が変な方向になっているように思えてならない。現在「大正(ご遠慮)デモクラシー」までだが、島崎藤村について語っているところや、「中央公論」の大記者瀧田樗陰の話など、大変興味深いものである。以前読んでいるはずなのだが半分以上忘れてしまっているので、楽しみに読んでいこうと思う。(2025.2.19)
大正(ご遠慮)デモクラシーの最後のところで、「社会主義と親孝行が両立した時代があった」という言葉が興味深かった。図書館でタイトルに「孝」の字がある本を探したら1冊もなかったともあり、なるほど昨今は「介護保険」の時代になっているのだし、親孝行などなくなっているのかと思った次第である。ただ、こういう価値観がなくなっている日本はやや寂しいように思う。それから「郵便局」について、「牛鍋の時代」について読んだ。だいたいの時代のイメージが浮かんでくるようだった。若い人を相手に話しているのがまた面白い。(2025.2.21)
「郵便局」の章で内田百閒のことを「勝手貧乏、自業自得貧乏」と書いてある。その後「でも百閒さんも戦後貧乏でなくなるともういけません。レトリックは同じですが、魂がぬけてしまいました。貧乏は百閒さんの文の魂だったんですね。芸術は貧乏と関係があるのですね」と書いてあった。この部分が大変印象に残った。(2025.2.22)
『ピアニストの系譜 その血脈を追う』 真嶋雄大著、音楽之友社、2011
お茶の水の Disk Union で見つけた一冊。ここは中古CDショップで、東京に出かけた際には必ず寄ることにしている。今回はこの本の他にドヴォルジャーク、シベリウスの管弦楽曲で探していたものが見つかり、非常に有益な時間だった。内容はピアニストの出自、教育などについて詳細に述べたもので、演奏の流派がどのようになっているかが分かるように書かれている。ただ、この本の「序」にも書かれているのだが、一人の学習者が何十人もの流派の異なる先達からメソッドや演奏法を享受することが可能になったのが現代なので、「系譜としての血脈に疑問が投げかけられる」のは確かだと思う。それも、演奏の習得がただコンクールに入賞したいための方法論になっているのだとしたのなら「結果的に平均的なピアニストを輩出」することになるはずで、昨今のピアニストに音楽上の魅力が感じられなくなっているのはこのあたりに原因はあると思う。何はともあれ、読み進んでいきたい。(2025.2.4)
読んでは見たが、先に書いたように、現代ではコンクール至上主義のような状態になっているため、お国柄
などという「個性」などあるのだろうかというのが正直なところだ。ピアニストの名前を列挙されても(学生時代だったら感動したと思うが)ああそうですか、という感じもする。ピアニストの名前で原語標記があればもっと参考になったとは思うのだが。ただ、随所にコラムがあり、ピアニストが○○を語る、というところは面白い。これを読むだけでも購入した価値はあったと思う。
(2025.2.5)
『作曲家◎人と作品 シベリウス』 神部智著、音楽之友社、2017
最近は生活に少しゆとりができてきたため、読書に時間を割くことが可能になっている。今回は「シベリウス」について読んでいくが、作品についてはある程度知っていても、フィンランドという国についていったい何を知っていたのだろうと思うことばかりで、読んでいて非常に新鮮な気持ちになる。驚いたのはシベリウスが「音楽の英才教育とは無縁な環境」で育ったということで、留学時もいろいな苦労があったようだ。それと、フィンランドがロシアの支配を受ける前はスウェーデンの支配が600年続いていたということである。スウェーデン語系フィンランド人の割合は19世紀後半では14%程度だったが、それらの人々はエリートであり社会に与える影響が大きかったということは初めて知った。もっと世界史の勉強をしないといけないということを痛感している。(2025.1.24)
「交響曲第6番」のところまで読み進むと、経済的には結構困っていたこと、そして結構お酒を飲む人だったことが書かれている。驚いたのはスウェーデンでの演奏会の時、酩酊状態の彼がリハーサルと本番を取り違えてしまい、演奏を途中で中断するという事件を起こしたこと。音楽家にはいろいろな逸話があるものだがこんなこともあるのかと思った。そして「交響曲第8番」の創作の話である。これは全然知らなかったことで、この交響曲は作曲者自身によって破棄されてしまったらしい。今回の読書では、シベリウスについてこのように新たなことをたくさん知ることができた。充実した内容の、立派な著作であると思う。
(2025.1.26)
『作曲家◎人と作品 ドヴォルジャーク』 内藤久子著、音楽之友社、2004
このシリーズはほとんど購入したのだが、まだ読んでいないものもある。今後ゆっくり読んでいきたい。まずはこの本、そしてシベリウスと読む予定である。さて、チェコの作曲家と言えばスメタナ、ドヴォルジャークくらいしか知らなかったのだが、まず「序:チェコ国民楽派の成立とその歴史的背景」を読み、こういうことはもっと早くに学習しておくべきだったと大いに反省した。プラハが中世ヨーロッパの文化的中心であったことは神聖ローマ帝国の歴史を勉強した時に読んだことがあったのだが、「ラテン文化とチェコ文化の混交」という視点から考えたのは初めてである。そしてもっと大事なことは1620年の「白山の戦い」からハプスブルク家の支配となり、プロテスタントの貴族、知識人、音楽家たちが亡命を余儀なくされたことである。シュターミッツについては読んだことがあったが、ベンダ、ミスリヴェチェクなど知っておくべき作曲家は多い。宗教が音楽に与えた影響という点をとかく見過ごしがちだと思うが、今後は宗教、戦争という側面も考慮しながら音楽と音楽家について考えるべきだと思っている。ところで私はチェコの音楽には独特の存在感があると思っているのだが(ドヴォルジャークの調性感覚、民族舞曲のリズム感など)、それはどういう事情から成立したのか、ということについて今後知ることができればと思っている。(2025.1.19)
今回はヨーロッパの地図を参照しながら読んでいるのだが、本日気になった箇所。「アメリカへの旅」の項で「サーバー夫人の指示に従って、一八九二年九月十五日にドヴォルジャークはプラハを去り、サザンプトンを経由してブレーメンへと旅立った。そこから彼はザーレ号と称する船に乗船した」とあるところだ。他の本、例えばカレル・V・ブリアン著『ドヴォルジャークの生涯(関根日出男訳、新時代社)』では、ブレーメルハ−フェンの港でザーレ号に乗車する前についてはヴィソカーでの滞在について記載してあるのみだ。サザンプトンについてはこういうサイトでも記載されていないし、本当かどうか疑問である。その後調べたところ、ブレーメンから「北大西洋航路」があり、そのルートでサザンプトンを通るということを書いてあるサイトを見つけた。
ということはサザンプトンはブレーメンの後ということなんでしょうね。その方が地図を見てもつじつまが合うと思うし。(2025.1.20)
読み終わって感じたのは、「序」に書かれている「チェコ国民楽派の成立とその歴史的背景」が非常に勉強になったことである。一般的な音楽史の本で国あるいは地域、そして民族音楽を深く知ることが難しいように思っていたが今回は深く考えることができた。
そして今まで読んだこの種の本に比べて細かいところまで描かれているように思う。作品解説が詳細なのもありがたいことである。この本の他にドヴォルジャークについて知るためには前述のカレル・V・ブリアン著の他、渡鏡子『スメタナ/ドヴォルジャーク』が参考になる。今回、これらの本を比べながら読んだことでドヴォルジャーク(ブリアン著の訳者である関根氏によれば「ドヴォジャーク」とした方がいいらしいが)についてかなり深く知ることができたと思う。
(2025.1.21)
『ごまかさないクラシック音楽』 岡田暁生・片山杜秀著、新潮選書、2023
この本についてはどこかで一度書いたように思うが、最近また読み直してみた。一般的に日本の多くの人が漠然と考えている「クラシック音楽」の常識には意外に落とし穴があるということに気付かせてくれる本だと思う。特に、「そもそも『古楽/クラシック/現代音楽』という音楽史の時代区分自体に、クラシックの“特権性”が表れている」などという考え方にはなるほどと思わせられる。そして「音楽とイデオロギーは不可分であり、一つの社会思想として捉えることが重要です」「世界史というか地球史のなかでクラシック音楽を考えたい」とあるように、歴史と音楽の深い関係について実に面白い指摘が次々と書かれている。また「イギリスとロシアの共通分母」「ベートーヴェンと右肩上がりの時代の音楽」「コンサートホールの登場」など非常に面白いと思った。こういう本を読むと、まだまだ私は知識が足りないなあとつくづく思うが、時々出てくる刺激的な筆致には、私の考えとは違うところもある。
ひとつ気になる点がある。リストについて、「彼はおそらく全ヨーロッパを股にかけたツアーを始めた最初のピアニストでしょう。鉄道網が急速にヨーロッパ中に広がる時期に、演奏旅行で遠くまで行くようになって、後年の写真や映画のようなルポルタージュ感覚の音楽を書いた」とあるところで、そのあとに「巡礼の年第1年・第2年」、「ハンガリー狂詩曲」などの例が挙げられている。今までどの伝記にもリストが列車に乗って移動したということは書かれていなかったと記憶しているのだが、これは本当なのかという疑問。「巡礼の年報第1年」は1837〜41年作曲、「第2年」は1938〜58年作曲ということで何だかよく分からない。福田弥『作曲家◎人と作品
リスト(音楽之友社)』では1839年以降1847年に至るまで8年間で約千回の演奏会を開いたとあり、「しかも今と違って、飛行機も鉄道もない時代である」と書かれている。どちらが正しいのだろうか。
(2024.12.15)
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