Johannes Brahms Lieder (2026.3.12)
大学の授業で「ピアノ伴奏法」というものがあって、ドイツ歌曲についてある程度知らないといけないなと思って購入はしたが、その授業で必要な曲しか聴いていなかったことを反省し、6枚組のCDの「1,2,3」および「6」を聴いたところである。6枚目は「美しきマゲローネのロマンス」。
声楽はフィッシャー=ディースカウで、伴奏者はムーア、サヴァリッシュ、バレンボイム、そして「美しきマゲローネのロマンス」はリヒテルとなっている。聴いた感想は個人サイトの「ピアノ作品研究」に書いてあるのでそちらをご覧いただければ幸いである。リヒテルは予想通りの素晴らしさだった。
今回私が考えることができたのは、伴奏はどの程度音楽的主張をすべきなのか、ということについてである。ムーアの伴奏はその意味で昔から素晴らしいと思ってきたが、ディースカウはいろいろなピアニストと録音を行っているのでその点が非常に参考になると思っている。たとえばシューマンの歌曲でエッシェンバッハとブレンデルの二種類の聴き比べなど非常に面白い。個人的には前者の方が好みではあるのだが、独唱者があえて個性の強い伴奏者を選ぶということもあるだろう。
今回聴いた伴奏はみな音楽的な演奏だったと思うのだが、(細かいことを言うようだが)伴奏の弾き方で、ある「癖」が気になった。それはたとえば「五月の夜 Op.43-2」の第20小節のような箇所で右手を意図的に遅らせて打鍵するような弾き方である。他に「別れ Op.69-3」「海を超えて Op.69-7」でも聞かれる。これは19世紀から戦前あたりまでは結構あったようだが、私が学生の頃はそんな弾き方をしたら厳しく注意されたものだ。ところが最近はかなり復活しているように思われる。
話は変わるが、その昔、知人からブラームスの録音で良いものがあるので聴いてほしい、とあるCDが送られてきたことがあった。いわゆる「押し」の演奏家らしく「いい評価をお願いしますよ」と書いてあったのだが、その演奏が先ほど書いたような癖の多いものだったので閉口したことがある。私はブラームスが「奇想曲 作品76の1」第26小節で右手を16分音符一つ分遅らせて書いていることから、ブラームスは「楽譜に書かれていないのに右手をずらす」弾き方は望んでいなかったと考えている。この弾き方についてはチャールズ・ローゼンがその著書『ピアノ・ノート』でかなり詳細に述べており、説得力もあるので、そちらを是非お読みいただきたいと思っている。
話を戻すと、ブラームスの音楽について、声楽分野をあまり知らなかったことをかなり反省した。ある作曲家を研究するについてはリートを調べることも大切であると再認識した次第である。べートーヴェンについてはほぼ全曲勉強していたが、今後はブラームスのあと、モーツァルト、シューベルトを(できるだけ全曲)研究していきたい。そしてシューマン、リヒャルト・シュトラウスも。フランスの歌曲ではフォーレ、デュバルク、ドビュッシーあたりか。(ヴォルフはどうしたと言われそうであるが、ある理由でもっと後になると思う・・・)
もどる